2011年8月28日日曜日

後輩と仕事で、梅屋敷駅に、行ってきた

今日の一言、格言、ことわざ
私の名はメガネ。かつては友引高校に通う平凡な一高校生であり、退屈な日常と戦い続ける下駄履きの生活者であった。だが、あの夜、ハリアーのコックピットから目撃したあの衝撃の光景が私の運命を大きく変えてしまった。ハリアーであたるの家に強行着陸したその翌日から、世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。いつもと同じ町、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。だが、なにかが違う。路上からは行き来する車の影が消え、建売住宅の庭先にピアノの音もとだえ、牛丼屋のカウンターであわただしく食事をする人の姿もない。この町に、いやこの世界に我々だけを残し、あの懐かしい人々は突然姿を消してしまったのだ。数日を経ずして荒廃という名のときが駆け抜けていった。かくも静か な、かくもあっけない終末をいったい誰が予想しえたであろう。人類が過去数千年にわたり営々として築いた文明とともに、西暦は終わった。しかし、残された我々にとって終末は新たなるはじまりにすぎない。世界が終わりを告げたその日から、我々の生き延びるための戦いの日々が始まったのである。奇妙なことに、あたるの家近くのコンビニエンスストアは、押し寄せる荒廃をものともせず、その勇姿をとどめ、食料品、日用雑貨等の豊富なストックを誇っていた。そして更に奇妙なことに、あたるの家には電気もガスも水道も依然として供給され続け、驚くべきことに新聞すら配達されてくるのである。当然我々は、人類の存続という大義名分のもとにあたるの家をその生活の拠点と定めた。しかし何故かサクラ先生は早々� �牛丼屋「はらたま」をオープンして、自活を宣言。続いて竜之介親子、学校跡に浜茶屋をオープン。そして面堂は、日がな一日戦車を乗り回し、おそらく欲求不満の解消であろう、ときおり発砲を繰り返している。何が不満なのか知らんが、実に可愛くない。あの運命の夜からどれ程の歳月が流れたのか。しかし今、我々の築きつつあるこの世界に時計もカレンダーも無用だ。我々は、衣食住を保証されたサバイバルを生き抜き、かつて今までいかなる先達たちも実現し得なかった地上の楽園を、あの永遠のシャングリラを実現するだろう。ああ、選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり。人類の未来がひとえに我々の双肩にかかってあることを認識するとき、めまいにも似た感動を禁じ得ない。

本日は、三越の古代ペルシア秘宝展はほとんどニセモノと判明[1982]の日だ。

最近の食事
坦坦麺+チャーハンを食べた。

たぶん一日前に、いつだって、後輩と仕事で、梅屋敷駅に、行ってきた。

さて、コラミオにコラムが公開されている。

等級 引継 自動車保険についてのコラムだ。

等級 引継 自動車保険といって、何を考えるかは、これは人により、違うわな。
等級 引継 自動車保険には、興味がないかもしれないが、俺も今回初めて知ったこともある。なんというか、その、人生まだまだ、勉強なのだと思ったり思わなかったり。

ちなみにこのコラムのトップはこちら↓
自動車保険の等級の引継 経験より

コラムの説明から
ここ10年で2回、自動車保険を変えることになった。つまり自動車保険の等級の引継も2回やったということだ。そもそもの最初の保険は、車を購入したディラーさんが代理店をしている保険会社だ。加入の時、正直な~

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